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社会的分断の現状を伝える――映画『レ・ミゼラブル』

11/29/2020 …… notes

社会的分断の現状を伝える――映画『レ・ミゼラブル』

1978年生まれ、マリ出身のフランス人映画監督、ラジ・リ(Ladj Ly)。2019年に公開された彼の初長編映画『レ・ミゼラブル』(Les Miserables)は、主人公である新任の警察官の視点からパリ郊外の団地に住む多様な人びとの対立と悲劇が描かれる、「団地」という居住空間でいま何が起きているのか、なぜ分断が生まれるのかを伝える映画だった。2020年2月に日本での上映が開始したものの、その後のコロナウイルスの蔓延を受けて映画館での上映が激減、2020年11月中旬に、一週間だけ早稲田松竹にて上映されていたためやっと見ることができた。

映画の冒頭、パリの凱旋門に向かうシャンゼリゼ通りでお祭り騒ぎをする人々の姿が映し出される。2018年にロシアで開催されたサッカーワールドカップ決勝戦の時の様子だ。この大会でフランス代表は、自国開催の1998年以来、二度目の優勝を果たす。この優勝の立役者であり、大会の最優秀若手選手賞を受賞したキリアン・エムバペは当時19歳だった。カメルーンとアルジェリア出身の両親を持つ彼の活躍は、映画に登場するような少年・少女たちに、またフランスで生活する人々に、未来への希望を与えるものであった。ピッチの上で、文化的多様性を持った選手たちが一丸となり、それぞれの能力を発揮ながら躍動するその姿には、フランスのあるべき姿、理想の姿が描き出されていた。だが現実は、そう簡単ではない―― 

1998年のワールドカップでフランスが優勝した時には、ジネディーヌ・ジダンが活躍した。彼もまた、アルジェリア系の移民の息子だ。『移民と現代フランス』(集英社新書、2003年)によれば、ジダンの活躍、また当時のフランス代表の選手たちの活躍は、フランス社会において移民が「政治的・経済的・社会的に同化が成功したことのシンボル」となった。しかし、その後、「このスポーツによる同化は幻想だった。悪い現実を隠していた」と、言葉が続けられる。ワールドカップ優勝から20年、パリ同時多発テロ(2015年)の影響もあり、反EUを掲げる国民戦線(現在は国民連合)の支持率が増加するなど、多様性への懐疑の眼差しは強まっている。その状況下で優勝を果たした2018年のワールドカップも、一時的に国民全体の紐帯を強めることにはなっただろう。しかし、『レ・ミゼラブル』がワールドカップ優勝の後の話として物語が進むように、社会的分断という問題の解決にはなんらつながっていない。フランスでの社会的分断はいまも広がっている。

この映画の主人公は警察官だが、警察組織の上層部はほとんど出てこない。描かれるのはあくまで、現場で住民たちとやり取りをする警察官たちだ。警察官、地域を取りまとめるマフィアまがいの自警団、穏健派イスラム原理主義組織であるムスリム同胞団、ロマのサーカス団、そして団地に生活する少年・少女たち。団地とその周辺を生活圏として生きるひとびとの日常と、そこから派生した暴動が描かれていく。誰がどこで間違えたのか、という問いでは解決できない、社会が生み出してしまった悲劇に突き進んでいく。

これは日本を舞台とした映画ではない。ただ、多様な民族・文化・宗教の人々が同じ生活空間で生きるがゆえに生じる対立は、日本でも広がりつつある。この映画の舞台は「団地」であるが、日本の「団地」も近しい状態にあることは、先に紹介した『ルポ 団地と移民』(角川書店)からも明らかだ。映画『レ・ミゼラブル』に登場する警察官は、白人で差別的な発言・言動を繰り返すクリス、地方から転勤したばかりであり、また主人公でもあるステファン、自らも団地の出身者でありいまも団地で生活をするアフリカ系グワダの三人だ。それぞれの自出も価値観も異なるため対立することもある。でも、それぞれの立場からしか言えないこと、できないこともあると、互いに尊重しあっているようにも見えるのだ。観客が自らの正義感を重ねやすい、朴訥とした主人公ステファンの姿も魅力的なのだが、社会の持つ差別意識を体現したかのようなクリスの姿が強く印象に残る。彼が差別的なふるまいをするのは、彼個人の資質ではないだろう。差別的な彼を、見下しつつも、警察組織として必要としていることを思わせる場面もある。

日本の警察組織に目を向ければ、映画のような警察組織にさほど多様性はないだろう。『ルポ 入管』(筑摩新書)で取り上げられた、時に暴力的に収監者を制圧する入管で働く職員たちも、「日本人」だけで構成されているのだろう。無自覚な差別意識を持つ「クリス」だけしかいない管理社会。それはとても、おぞましいものだ。組織の中に多様性を保持することは、組織の活動にも柔軟性と多様性を保持する。もちろん、それでもなお、悲劇がおきてしまうことを、『レ・ミゼラブル』は描き出している。

来るべき移民の増加に備える、といった言説も散見されるが、むしろ、いま目の前にいる、日本で生活する様々な人々と、これからどのように生活をしていくのかを考えなければならない。日本はいま多民族国家になっている。いや、戦前も戦後も多民族国家だった。「日本人」がそう自覚していないだけだ。そんな問いすら突き付けられる映画だった。(堀)


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