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過去からの #MeToo:歴博企画展「性差の日本史」に寄せて

11/20/2020 …… notes

過去からの #MeToo
歴博企画展「性差の日本史」によせて

佐倉にある国立歴史民俗博物館で開催中の企画展、「性差の日本史」が注目を集めている。列島社会における性的役割の構築過程、とくにそのなかでエスカレートしてゆく女性の周縁化を、前近代にも踏み込んで実証的に明らかにした展示である。筆者も今月の初めに観に行き、このCOVID-19感染拡大下、しかも交通の不便な場所にもかかわらず(ごめんなさい)、大変な人出だったのに驚いた。そのうえ若いひとたち、とくにやはり女性が多かったことに、希望と、現実の苛酷さとを同時に感じざるをえなかった。そのときは、このサイトを運営している仲間と一緒だったのだが、企画展自体の詳しい評論は、近日中に、座談会の形でアップしたいと考えている。今回はその、いわばイントロとして、簡単な覚書を認めておくことにする。

歴史学における女性史やジェンダー史は、過去の隠蔽された、あるいは気づかれさえしなかった現実を明るみに出し、現代女性や性的マイノリティーの置かれた境遇を逆照射したり、性差が決してアプリオリなものではなく、長い時間をかけて社会的に構築されてきたものであること、そこには何らかの権力が強く作用し抑圧をなしていることを、しっかりと示す役割を持っている。それは、〈過去からの#MeToo運動〉とでもいいうるだろうか。もちろん、かかる記録を見出したとき、研究者は、その主体に安易に自己を重ねてはならない。とくに、現代の社会構造で優位なポジションに埋め込まれている男性の場合は、代弁ともいうべき思い入れとはあえて距離を置き、自らの立ち位置をも解体する歴史実践をなすべきだろう。その点を意識しながら、以下、ひとつの記録を紹介しておきたい。北宋・李昉ら撰『太平広記』巻494 雑録2に収められている、唐・牛粛撰『紀聞』の逸文(「修武県民」)である。

開元二十九年二月、修武県人嫁女。壻家迎婦、車随之。女之父懼村人之障車也、借俊馬。令乗之女之弟乗驢従、在車後百歩外行。忽有二人出于草中、一人牽馬、一人自後駆之走。其弟追之不及、遂白其父。父与親眷尋之、一夕不能得。去女家一舍、村中有小学。時夜学、生徒多宿。凌晨啟門、門外有婦人、裸形断舌、陰中血皆淋漓。生問之、女啟歯流血、不能言。生告其師、師出戸観之、集諸生謂曰、「吾聞夫子曰、木石之怪夔魍魎、水之怪龍罔象、土之怪墳羊。吾此居近太行、怪物所生也。將非山精野魅乎。盍撃之。」於是投以塼石。女既断舌、不能言。諸生撃之、竟死。及明、乃非魅也。俄而女家尋求、至而見之、乃執儒及弟子詣県。県丞盧峯訊之、実殺焉。乃白於郡。笞儒生及弟子、死者三人。而刼竟不得※1
【現代日本語訳】唐の開元29(741)年2月、修武県(現河南省)のある人が、娘を嫁に出すことになった。嫁ぎ先では、花嫁のために車を迎えに寄越したが、父親は、車の走行が村人に邪魔されることを怖れた。そこで、足の速い馬を借りてこれに娘を乗せ、娘の弟を驢馬でその後ろに従わせて、車の百歩後を付いてこさせた。そうしたところ、草むらから突然2人の男が現れ、1人が娘の馬を引き、もう1人がそれを後ろから駆り立て、走り出した。弟は、すぐに後を追いかけたが及ばず、父へ報告した。父は親戚や眷族と娘を捜し求めたが、一晩かかってもみつけることができなかった。ときに、娘の実家から30里ほどのある村に、小さな塾があった。講義はたびたび夜分にまで及び、多くの塾生たちが泊まり込んでいた。未明に門を叩く者があるので、塾生が開けてみると、ひとりの女性が立っている。彼女は裸で、舌を切り取られており、血が陰部に溢れ、外へと滴り落ちていた。塾生が問いかけてみても、口を開くと血が流れ出るだけで、ものがいえないようだ。困った塾生が師へ報告すると、彼は外へ出てそれを観、他の塾生も集めてこういった。「私が聞くところでは、孔先生はこう仰った。『木石の怪とは、夔や魍魎である。水の怪とは、龍や罔象である。土の怪とは、墳羊である』。私が住んでいるところは太行山脈の近くであり、怪物の生まれる場所である。これは、紛れもなく山精、野魅の類であろう。どうして撃ち殺さずにいられようか」。そこで塾生とともに、塼石をさんざんに投げ撃った。女性は舌を切られていたので、喋ることができず、塾生たちに撃たれるままになり、ついには死んでしまった。そうして夜が明けてみると、当然のごとく、彼女は鬼魅などではなかった。ちょうどそのとき、娘の実家の者が訪ねて来て、この村塾に至って惨状を目にし、師弟を捕らえて県に引き渡した。県の長官であった盧峯は、彼らを訊問し、事件を事実と知って郡へ報告した。師弟は笞刑に処され、3人が死んだ。しかし、そもそも娘を掠った者たちは、捕らえることができなかった。

『紀聞』は唐代伝奇であり、この物語りは、単に儒者の形式主義を批判するフィクションかもしれない。しかし、志怪には往々にして実話が含まれること、年代が具体的で県丞の実名も挙げられている点からすると、あるいは世間話、何らかの噂話的なものとして、撰者牛粛の耳に届いた可能性も否定できない。かかる古小説、説話や伝承のなかには、婚儀の直前に花嫁を掠奪するという形式が意外に多い。最近筆者は、『太平広記』に収録のトラ関連の物語りを整理する機会があったが、そのなかにはトラが花嫁を掠ってゆく〈虎媒〉と呼ばれる話型があり、さらにそのうちの幾つかには、唐代巴人の婚姻儀礼を反映していると推測できるものがあった。現代でも、例えば黔州湘鄂川周辺のトゥチャ族などは、トラをトーテムとするさまざまな信仰を保持しており、実家を出た新婦を新郎が掠ってみせる、〈搶婚〉という習俗を伝えている※2。なぜ、女性は掠われなければならないのか。その問いは、婚姻を女性の交換とする社会構造に対する、ラディカルな批判となりうるだろう。上記の伝奇を完全なフィクションとしても、それが説得力を持つナラティヴとして成り立つためには、何千何万の掠われた女性たち、暴力によって尊厳を奪われ、そのまま忘れ去られた女性たちがいたことを、常に念頭に置いておかねばならない。
そうしてさらに恐ろしいのは、小さな村塾を経営する儒者が、深夜に現れた傷だらけの女性を躊躇なく「山精野魅」の類と判断し、弟子たちをけしかけて撃ち殺させたことである。ここには、儒教をはじめとする前近代中国の言語コードが、文明/野生の二項対立図式において、女性を後者の側に周縁化してきた罪業が透けてみえる。例えば、北宋・李昉ら撰『太平御覧』巻70 服飾部下/鏡所引『蜀王本紀』逸文には、「武都の丈夫、化して女と為る。顔色美好、蓋し山精なり」、慧皎撰『高僧伝』巻4 義解1/竺法崇12には、「嘗て湘州麓山に遊ぶに、山精化して夫人と為り、崇に詣りて戒を請ひ、所住の山を捨し以て寺と為す」などとあって、山精は女性に化けるものと考えられていたらしい。儒者の判断はそれに規制されたものだろうが、問題は彼が、「山精野魅」ならば撃ち殺してよいと考えていた点だろう。少々乱暴かもしれないが、それが中華思想的なヒト至上のピラミッドを支えてきた、儒教の開発主義に基づくことは否定できまい。

「修武県民」に描かれた一女性は、確かに虚構の存在かもしれない。しかし彼女の尊厳は、背景にある無数の抑圧された女性たち、同じ境遇にあった人びとの無念さ、ものもいえぬ間に破壊された自然環境の未発の(奪われた)可能性を想起させる。他者の物語りを収奪するのではなく、このような記録を探り当て公共の歴史(public history)とする作業は、歴史を研究する人間の重要な責務であるといえるだろう※3。(北條)


^※1……引用は、張国風会校『太平広記会校』(北京燕山出版社、2011年)より行った。
^※2……武育新「虎為媒、婚命実だ:解析唐伝奇《集異記・裴越客》」(『現代語文(文学研究)』2010年3期)、17頁。
^※3……そのために、イヴァン・シャブロンカの、殺された少女の全生涯を復原しようとする試みは大切かもしれない。シャブロンカ/真野倫平訳『歴史家と少女殺人事件:レティシアの物語』(名古屋大学出版会、2020年、原著2016年)参照。

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